2017年06月19日
2013年07月03日
上半期の出来事「その2」
3月:私のカミさん「豊子」が年末に化粧品の抽選に応募したところ
なんと!ハワイ旅行が、当たりました!(しかもペアで)
行ってきました。四泊五日

着いた当日、ホテルからダイアモンドヘッド山頂までウォーキング約1時間半
ダイアモンドヘッドから望むワイキキビーチです。
私は、2年ぶり!豊子は十数年ぶりのハワイ旅行でした。
私のカミさん「豊子が」年末にヘビの夢を見たそうです。その時はヘビが3匹出てきたと話しておりました。
そして、今年はきっといいことがあると言っていました。ヘビ3匹で良い事が3つあるかもと?
その一つが、1月の孫の誕生
二つ目が、このハワイ旅行だと思います。
あと一つは、下半期に何か良い事があると思っています。なんだろう?
なんと!ハワイ旅行が、当たりました!(しかもペアで)
行ってきました。四泊五日

着いた当日、ホテルからダイアモンドヘッド山頂までウォーキング約1時間半
ダイアモンドヘッドから望むワイキキビーチです。
私は、2年ぶり!豊子は十数年ぶりのハワイ旅行でした。
私のカミさん「豊子が」年末にヘビの夢を見たそうです。その時はヘビが3匹出てきたと話しておりました。
そして、今年はきっといいことがあると言っていました。ヘビ3匹で良い事が3つあるかもと?
その一つが、1月の孫の誕生
二つ目が、このハワイ旅行だと思います。
あと一つは、下半期に何か良い事があると思っています。なんだろう?
2012年10月17日
飛竜!ドラゴン藤波
10月13日、土曜の夜「観光居酒屋、リングサイド」において
プロレスラー藤波辰爾選手のトークショウに参加した時の一コマ

昔の修業時代のことや若かりし全盛期のことなど楽しく語ってもらいました。いつも笑顔で、親しみやすい方だと思いました。
そして、もう還暦なのにまだ現役で活躍しているその姿とモチベーションの高さに感動とパワーをもらいました。
そして、藤波選手の腕の太さに驚きました。
私も負けれれない。翌日から筋とれ再開を誓いました。
よーしがんばるぞ~
プロレスラー藤波辰爾選手のトークショウに参加した時の一コマ

昔の修業時代のことや若かりし全盛期のことなど楽しく語ってもらいました。いつも笑顔で、親しみやすい方だと思いました。
そして、もう還暦なのにまだ現役で活躍しているその姿とモチベーションの高さに感動とパワーをもらいました。
そして、藤波選手の腕の太さに驚きました。
私も負けれれない。翌日から筋とれ再開を誓いました。
よーしがんばるぞ~
2012年06月18日
田植え終わりました

妻と空手の弟子内田君が手伝ってくれました。
歳のせいか歩行用の田植え機はしんどい。
途中両足の腿が引きつりそうになり、「やばい、塩分不足か?カリウム不足?」
一時休憩(こびる)、水分、カリウム糖分、塩分補給
何とか復活、最後まで持ちました。
夕方5時過ぎに終了、田圃を5時間歩来ました。
体重も落ちていました。(田圃ダイエットはきく~)
今日は、足や足の指が痛いです。
2012年03月19日
皇后陛下の心配り
とっさに動ける草履で 追悼式の皇后さま
共同通信社 3月16日(金) 配信
東京で11日にあった政府主催の東日本大震災追悼式で、皇后さまが和服姿だった
のは、心臓の手術後間もない天皇陛下が万一転倒しても、底が平らな草履ならとっさ
に動けると考えられたからだった。宮内庁幹部が15日明らかにした。
天皇陛下は退院から1週間で式に出席。体力は十分に回復しておらず、周辺は壇上
での転倒を懸念した。幹部は事前に「最もそばにいる方にお支えいただくしかない」
と皇后さまに相談。皇后さまはハイヒールを履く洋装だと対応できないと、和装を選
んだという。
追悼式の壇上で天皇陛下はゆっくりと歩き、転ぶことはなかった。
共同通信社 3月16日(金) 配信
東京で11日にあった政府主催の東日本大震災追悼式で、皇后さまが和服姿だった
のは、心臓の手術後間もない天皇陛下が万一転倒しても、底が平らな草履ならとっさ
に動けると考えられたからだった。宮内庁幹部が15日明らかにした。
天皇陛下は退院から1週間で式に出席。体力は十分に回復しておらず、周辺は壇上
での転倒を懸念した。幹部は事前に「最もそばにいる方にお支えいただくしかない」
と皇后さまに相談。皇后さまはハイヒールを履く洋装だと対応できないと、和装を選
んだという。
追悼式の壇上で天皇陛下はゆっくりと歩き、転ぶことはなかった。
2011年12月09日
真珠湾から70年
昨日、12月8日は、旧日本海軍が真珠湾を奇襲し太平洋戦争へ突入した日でした。
この写真は、太平洋戦争終結の調印式が行われた、戦艦ミズリー(全長約270m)です。
この艦は、太平洋戦争末期から湾岸戦争まで活躍したアメリカ海軍の主要艦です。
現在、退役して真珠湾に展示してあります。「パトリオットミサイル」が5機搭載してありました。
日系アメリカ人のガイドが色々くわしく話をしてくれました。
この艦は、日本の神風を迎撃するためにコンピーター制御で一番効率のよい間合いで散弾銃の様な砲弾を撃っていたそうです。
その中をかいくぐって一機の神風が突入、体当たり直前にに迎撃され、艦をかすめたそうです。
その時、機体の1部とパイロットの死体が艦上に投げ出されました。
そしてその死体は、敵と言えども日米問わず、お国の為に散った英雄であるという艦長の命で、死体安置室に安置され、二人の米兵が見はりとして一晩付く事になりました。
そしてこの二人は、こいつもまだ若いのにこのままでは可哀そうだと言って、この日本人パイロットの為に何かしてあげようと一晩かけて大きな「日の丸」を作り掛けてあげました。
そして翌朝、5時にアメリカ海軍の手で丁重に海軍葬がとりおこなわれたそうです。そしてその1時間後、次の神風特攻隊の来襲があったそうです。
現在も、この日本人パイロットの遺影と名前が展示されています。
私にとっては「心に響く、いい話」でした。
さて、話は戻りますが、真珠湾攻撃もアメリカにとっては、今回の東日本大震災の様な突然に襲った大惨事だったのでしょう?
そこから立ち直った「アメリカ」また敗戦から立ち直った「日本」!
東日本の方々も必ず立ち直れると信じています。「がんばれ!東日本」